渡邉彩香、大器の復活V。涙の裏には最大の武器が生んだ苦悩があった (3ページ目)
長く渡邉を苦しめていたのは、かつて平均270ヤード飛ばしていたドライバーだった。
「ここ数年は、ティーショットの不安が大きくて。自分の持ち味のドライバーを気持ちよく振れないことが不調の要因だった。
もともとフェードボールが持ち球ですが、リオ五輪の代表になれなかったことで、『もっとこうしたい、ああしたい』と自分に足りない部分ばかり浮かんでしまった。フェードの幅を狭めてストレートっぽく打ちたいという気持ちが出てきて、それが迷いにつながっていた。
このオフは、改めてフェードボールの徹底に取り組んで、どんな場面でもどんな状況でもしっかり左に出して、右に曲げることを徹底的に練習してきました。本来の開幕戦の頃(3月)には、いい感じに打てるようになっていました」
リオ五輪の代表を逃したあと、渡邉は密かに東京五輪へと気持ちを切り換えていた。
「リオの悔しさを晴らしたいというのがずっとあった。今はかけ離れて遠い目標なんですが、東京五輪が来年に延びたということは、もしかしたら、何か運が私についているのかもしれない。一生懸命がんばりたい」
これからに向けて、「一生懸命」という有り体な言葉を選んだところに、渡邉の純朴で実直な人柄が表れている気がした。
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