有村智恵が持つ「危機感」。自らの戦いとゴルフ界の発展のために... (2ページ目)

  • 金明昱●取材・文 text by Kim Myung-Wook
  • photo by Getty Images

 2006年にプロテストでトップ合格を決めた有村。翌2007年にツアー本格参戦を果たすと、いきなり賞金ランキング13位となってシード権を獲得した。さらに、2008年シーズンにはツアー初優勝を遂げて、翌2009年シーズンには年間5勝を挙げ、年間獲得賞金は1億円を突破、賞金ランキングも3位まで上り詰めた。

 以降、コンスタントに勝利を重ねて、2013年シーズンから米女子ツアーに挑戦した。だが、慣れない環境のなか、ツアーで結果を残すことは簡単ではなかった。そうして、これといった成績は残せぬまま、2016年に故郷の熊本県が地震に見舞われたこともあって、志半ばで国内復帰を決心する。

 日本ツアーでは誰もが認めるトッププロだが、復帰当初の有村は、米ツアーでの苦悩そのままに、苦しい戦いが続いた。出場数が限られていた2016年シーズンだけでなく、フル参戦を果たした2017年シーズンも、優勝争いに加わるようなことはなく、賞金シードを獲得することができなかった。

 それでも2018年シーズン、サマンサタバサ ガールズコレクション・レディースで6年ぶりのツアー優勝。見事な復活Vを飾ると、再び賞金シードも手に入れた。有村自身、アメリカでの経験を糧に、知り尽くした環境の日本でなら、まだまだ戦えることを再認識したに違いない。

 ただし、女子アスリートは一般的に、20代前半をピークにして、その後は歳を重ねるにつれて、身体能力や筋力が低下。高いパフォーマンスを保持し続けるのは、年々難しくなると言われている。今や、他のスポーツと同様、ゴルフも低年齢化傾向にある。

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