【木村和久連載】プロを震え上がらせた設計。鬼才ピート・ダイを偲ぶ

  • 木村和久●文 text by Kimura Kazuhisa
  • 服部元信●イラスト illustration by Hattori Motonobu

専門誌では読めない雑学コラム
木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第242回

 先日、94歳で亡くなったアメリカの著名なコース設計家、ピート・ダイ氏。今回は、彼を偲んで、彼についての話をいろいろと綴っていこうと思いましたが、およそ2年前にも、日本を代表するコース設計家、井上誠一氏と比較しながら、彼については記しています(2017年11月2日配信「『みんゴル』で思い出した、巨匠ピート・ダイの秘話」)。

 知り合いが、ピート・ダイのインタビューに成功。そこでは、彼の本音なども紹介しています。あとで、上記の記事も読んでいただければ、うれしい限りです。

 それで今回は、世間で噂になっている彼の"都市伝説"について、解明していきたいと思います。

 ピート・ダイ伝説でよく語られているのは、「保険の外交員から、コースの設計家になった変わり種」という話。そこの部分だけを切り取って言えば、たしかに間違ってはいません。

 けど彼は、保険の外交員になるず~っと前から、ゴルフを嗜んでおりました。

 彼を紹介する資料を見れば、1925年、オハイオ生まれ。6歳からゴルフを始めた――と記されています。裕福な家庭に生まれ、父親が9ホールのゴルフコースを持っていた、というから驚きです。要は、ゴルフ場のオーナーの息子じゃん!?

 ゆえに、環境抜群のなか、幼い頃からゴルフの英才教育を受けることができたんですな。高校、大学でもゴルフに勤(いそ)しみ、大学時代はゴルフ部のキャプテンになっています。

 名コースとの出会いは、第2次大戦後、ノースカロライナ州にあった米軍基地のコースの、グリーンキーパーとして雇われてから。当時はまだ、彼は軍隊に所属していました。

 偶然、そのコースがドナルド・ロス(スコットランドの天才コース設計家)設計で、近くにパインハースト№2(ドナルド・ロス設計の最高傑作と言われるコース)もあったことから、ゴルフ場の造形に目覚めたと言われています。

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