藤田光里を立ち直らせた父とのSNS
「ゴルフをやめるか迷っていた」

  • 古屋雅章●取材・構成 text by Furuya Masaaki
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

――それでも、試合は棄権しませんでした。

「その時点で、私はその試合で予選を通って、最後まで回り切らないとシードを落としそうだったんですよ。それで、痛みを押して試合に出て、何とか結果(32位タイ)を残して、賞金ランキング48位でシード権を得られたんです。

 それで、せっかくギリギリで通ったシードだから、2017年シーズンの1年間を棒に振りたくないと思って、その時は(ヒジの痛みを抱えたまま)『手術はしない』という選択をしました。それにその当時、ゴルフをやめるかどうか、迷っていたし......」

――それは、どうしてですか。

「ヒジのこともあったんですが、2016年12月に父(孝幸さん)が亡くなったんです。それで、父のお葬式の時に『今がゴルフをやめるタイミングなのかな』と思って......。

 そもそもプロゴルファーになったのは、私の夢というより、"父のため"というほうが大きかったし、その父がいなくなった時、『自分の意志でゴルフを続けられるのかなぁ......』って、お葬式の時にずっと考えていました。でも結局、(ゴルフを)続けることにしたんですけれどね」

――ゴルフを続ける決断をしたのは、何か理由があったのですか。

「シードをギリギリで通った日、父がすごく喜んでくれて、私に『ゴルフ人生で一番うれしい。ありがとう』というLINEを送ってくれたんです。そのLINEは今も残っているんですけど、お葬式とかすべて終わったあとに、そんな父とのやり取りを見返したんです。それを読んで、『ああ、やっぱりゴルフを続けよう』と思ったんです」

苦しい時期について振り返る藤田光里苦しい時期について振り返る藤田光里――そうして、2017年のシーズン後、左ヒジの手術をすることになりました。

「最終的に手術を決断したのは、私生活にも支障が出たからなんです。握力が10㎏しかないぐらいになっていて、携帯も持てないし、飲み物も飲めないし、ドライヤーも使えないし、服も着られない......。そうなった時に、もうこの生活が続くのは無理だと思って、手術をしようと決めたんです」

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