藤田光里を立ち直らせた父とのSNS
「ゴルフをやめるか迷っていた」

  • 古屋雅章●取材・構成 text by Furuya Masaaki
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 でも、それによって(レギュラーツアーの)リランキングに関わってくるぐらいの賞金が入って、周囲から『リランキングに向けて(手応えは)どうですか?』といったことを聞かれるようになって......。私は、それがちょっと嫌でした。今年の自分の目標は、そこにはなかったので」

――リランキングのことは、あまり意識したくなかったわけですか。

「頭の片隅にあるくらいでしたね。というのも、昨季の前半戦は『リランキングで(上位に入って)何とかしないと』という焦りによって空回りして、それで(結果も残せずに)シーズンが終わってしまったんです。

 だから今年は、『同じ失敗をしないようにしよう』『自分が今いるポジションで、できることをやろう』――そう思ってシーズンに臨んだわけですから、そこはブレないでおこうと。そうやってきた結果が、ステップ・アップ・ツアーでの優勝(ユピテル・静岡新聞SBSレディース)にもつながったのかな、と思っています」

――昨季までと、何か変えたことはありますか。

「う~ん、(自らの)ゴルフ自体は、技術的な部分は今までと変わらないんですけど......。これまでは、『絶対に予選を通らないといけない』『上位争いしないといけない』ということを考えながらプレーしていたので、常に緊張していたし、失敗も許せなかったんです。

 でも昨年、(左ヒジの)手術をして、できることが限られているなかで、QTもサードで落ちてしまったんですけど、その時にちょっと考える時間があって。『今、できることだけやっておけばいいかな』って、いい意味で自分に甘くなりました。だから今年は、すごく(気持ち的に)楽にゴルフができているので、それがいい結果につながっているのかと思います」

――少し過去のことを振り返ってほしいのですが、2015年にツアー初優勝を飾って、「さあ、これから」という時に、翌2016年はぎりぎりのシード獲得、2017年はシードを逃すことになりました。何か問題があったのでしょうか。

「2016年にはもう左ヒジを痛めていて、最終戦の大王製紙エリエールレディスの時にはあまりに痛いので、プロアマを棄権して病院に行ったぐらいなんです。そこで、検査を受けた時に『肘部管(ちゅうぶかん)症候群』と診断されました。神経が骨に引っかかる位置にあって、私の場合はボールを打った時の衝撃や、(スイングの)フィニッシュでヒジを捻ったりすることで、神経が圧迫されて腫れてしまったようです」

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