【木村和久連載】ノーベル賞受賞の本庶佑教授に倣う、ゴルフ道の極み (3ページ目)

  • 木村和久●文 text by Kimura Kazuhisa
  • photo by Kyodo News

 ちなみに、この俗謡の元ネタは、江戸時代の山形県は庄内地方で歌われていた流行り歌で、だいたい次のような感じです。

「本間様にはなれないけれど、せめてなりたや殿様に♪」

 当時、山形県の庄内地方に、日本一の大地主とされた本間家というのがあって、所有している土地のあまりの広さに、殿様よりもお金を持っていると言われていました。そこで民衆は、本間様にはどうあがいてもなれないけれど、せめて殿様にはなりたいなぁって、流行り歌を歌ったのです。

 民間人の本間様より、殿様のランクが下、というのが笑えますよね。

 で、このコラム的なポイントは、本間様です。本間と聞いて何か思い起こすことはないですか? えっ、ひょっとしてあれですか?

 そうです、ゴルフメーカーの『HONMA』です。

 その本間様ですが、どんだけ土地を持っていたかというと、庄内の酒田から現在の山形市ぐらいまで、所用で出かけたときに「すべて自分の持っている土地を歩くだけでたどり着けた」というのですから、びっくりです。

 距離にして、約100km。そんな土地持ってみたいですなぁ。

 かくして、その本間家の傍系ですが、その末裔が『本間ゴルフ』を立ち上げた、というお話です。

 だから、地元酒田で大火(1976年)が起きたとき、当地での雇用が減ってしまったため、『本間ゴルフ』は酒田工場をオープンさせているのです。

 今回は話がどんどん横道にそれていきます。

 本庶教授じゃないですけど、自分のゴルフで叶わぬこと以外で、何か他に達成できそうことはないか。そこでまた、流行り歌を考えてみました。結果、こんなのができました。

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