まもなく開幕の全英オープン。過酷なコースの歴史に残る「悲劇」とは (4ページ目)
「あの試合は(コースの)セッティングもタフだったし、風も強く、恐ろしいほど難しかった。そうした状況にあって(自分は)本当にいいプレーをしていたんだ。
その後、(結果を受けて)人々はいろいろなことを言った。『安全にプレーするべきだった』とか......。だけど、僕は自分のDNAに従って攻めた。(18番の)2打目を2番アイアンで打つことに対しても、何の問題も感じなかった。とにかく、ピンに向かって打つことだけを考えていた。
今思うことは、メジャー大会というのは72ホールを終えるまで、勝利は決まらないということ。あと、人々はもう忘れてしまっているかもしれないが、僕にはプレーオフでも勝てるチャンスがあったということ。それは、僕の誇りだ」
悲劇が起こった夜、カーヌスティのクラブハウスでは、バン・デ・ベルデを囲んで小さな夕食会が催された。バン・デ・ベルデが語る。
「友人など、僕がみんなを招待したんだ。15人ほどでテーブルを囲んで、その週のいいプレーを祝ったんだ。何を食べたか覚えていないけど、赤ワインをたくさん飲んだよ」
そこに『クラレットジャグ』はなかったが、バン・デ・ベルデにとってそのひとときは、生涯忘れられない時間になったという。
カーヌスティで行なわれた全英オープンの過去3大会は、いずれもプレーオフまでもつれている。1999年大会のあと、2007年大会では、メジャー初勝利を目前にしたセルヒオ・ガルシア(スペイン)が72ホール目のパーパットを決められず、パドレイグ・ハリントン(アイルランド)とのプレーオフに敗れた。
常に熾烈な争いが演じられてきたカーヌスティでの全英オープン。今年はどんな"ドラマ"が生まれるのか、楽しみである。
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