【木村和久連載】「名門クラブ」と「名コース」の違いって何なのか? (3ページ目)

  • 木村和久●文 text by Kimura Kazuhisa
  • 服部元信●イラスト illustration by Hattori Motonobu

 昔の名門倶楽部は、発起人やメンバーに公爵や伯爵などの華族と財閥関係者が名を連ね、名設計家を招聘してコースを建造。そんな感じで運営されて、現在に至っています。

 ここまでが「名門クラブ」のお話ですね。

 次に昭和の終わり頃から、平成にかけて大挙してやって来た、海外の設計家のコースのお話をします。彼らはバブルのちょっと前から日本に来て、さまざまなコースを設計しました。

 私の知っている限り、画期的だったのは栃木県のニュー・セントアンドリュースゴルフクラブ・ジャパン(1975年開場)です。ジャック・ニクラウス設計で話題になりましたが、実際は設計家のデズモンド・ミュアヘッドとの共同制作でした。

 以前、何度か行きましたが、本物のセントアンドリュースよりはるかに難しく......って、本物は行ったことないですけど。

 いやぁ~、とにかく参りました。バンカーがスキーのゲレンデみたいにそそり立っていて、これに入ったら「どうやって出すの?」と、首をひねりっぱなしでした。もちろん、大叩きですよ。二度と行きたくないと思いつつ、また行きたくなる、SMクラブみたいなところですかね。

 そんなわけで、他にもロバート・トレント・ジョーンズJr、ピート・ダイなど、そうそうたる名設計家が、バブル時代に日本で素晴らしいコースを作りました。

 その当時の総工費最高額コースとして名高いのが、千葉にあるゴルフ5カントリーオークビレッヂ(旧オークビレッヂゴルフクラブ)です。デズモンド・ミュアヘッドが、アーサー王伝説をモチーフにして設計しました。

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