【木村和久連載】ゴルフに「平等の精神」なんて本当に存在するのか (4ページ目)

  • 木村和久●文 text by Kimura Kazuhisa
  • 服部元信●イラスト illustration by Hattori Motonobu

 アプローチやパットにおいても、うまい人はたっぷり時間をかけてライを読み、これぞというショットをして「オーケー」なんかもらっちゃったりします。

 片や、ヘタクソ君はそこまで来るのに時間がかかっていますから、ライを見たり、グリーンを読んだりする時間も与えられず、うまい人にうながされるままに打って、カップをオーバー。また、その返しもオーバー......と、「どよよ~ん」の繰り返しです。

 そんで、最後に「おまえ、せわしないな」とかうまい人から言われたりして......って、好きであたふたしているんじゃないってば。

ヘタほど疲れますからね、ゴルフって決して「平等なスポーツ」じゃないですよね...ヘタほど疲れますからね、ゴルフって決して「平等なスポーツ」じゃないですよね...

(3)経済面の不平等
 ゴルフは所詮、そこそこの小遣いと時間に余裕のある人がする遊びです。そこは、否定できない事実です。

 だから、平等と言っても、ゴルフ場の土俵に上がらないと話になりません。まさか「ホームコースは神宮外苑です」って言えないでしょ。そこは、練習場だっちゅうの。

 この選ばれし者の平等って、ローマ時代の市民階級(奴隷制があったから、市民は楽に生活できた)の、平等みたいなものです。

 そういう意味でも、個人的には最初から「(ゴルフは)不平等なゲーム」と言ってくれたほうが、なんぼ清々しいかって思いますけど。

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