スランプあり、世界1位あり。米ツアー12年間を彩る「宮里藍語録」 (3ページ目)

  • 武川玲子●構成 text by Reiko Takekawa
  • photo by Getty Images

「これを乗り越えたら、もっとすごい"自分"というのが先にいるかもしれない」

 2008年から2009年シーズンの序盤にかけては、なかなか結果も出せず、ショットのフィーリングを取り戻すことに専念していた。その苦しい時期での発言。その期間は本当に苦悩の連続だったと思うが、彼女は必ず復調できると信じていたし、我々もそれを強く信じていた。そして実際、もっとすごい"宮里藍"がその後に誕生した。


「これまで、ずっと走り続けてきた。スランプに陥って、プライドとか、見栄とかはなくなったけれども、"プロとしてのプライド"は失うことはなかった」

 2009年エビアンマスターズで米ツアー初優勝を飾った際のコメント。ドライバーショットの不振を乗り越えての、涙の勝利だった。


「ロレーナ(・オチョア)にウイニングボールをあげたくて。勝ったら、絶対にあげるんだ、と決めていた。そういうイメージを持ってプレーしていました」

 2010年、当時28歳だったロレーナ・オチョア(メキシコ)が現役引退。その最後の試合は、メキシコで開催されたトレスマリアス選手権だった。予選ラウンドをオチョアと一緒に回った宮里藍は、自ら掲げた目標どおり見事に優勝を飾った。表彰式では、こっそりとオチョアに"優勝ボール"を手渡した。

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