スランプあり、世界1位あり。
米ツアー12年間を彩る「宮里藍語録」

  • 武川玲子●構成 text by Reiko Takekawa
  • photo by Getty Images

「『藍の成績は、藍の英語力と比例する』って、父に言われていたんですね。それで、ロレーナ(・オチョア)から食事に誘われて出かけたんですけど、そのときに辞書を持っていったら、彼女に『ソー・キュート!(かわいい)』って言われて笑われました」

 2006年のルーキーシーズンでのこと。まだアメリカに来たばかりで、こちらの生活にも不慣れだった頃、宮里藍は早くツアーに溶け込もうと、会話がわからなくても、海外選手たちとの食事には積極的に出かけた。その甲斐あって、数年後には格段に英語力がアップ。日常会話はすっかり英語でこなせるようになった。優勝スピーチを堂々とこなせるのも、こうした地道な努力があったからだ。


「人生初のスランプに陥りました!」

 2007年は、シーズン途中からドライバーの不振に陥った。9月には試合途中で棄権するなど、かなり苦しい時期もあった。そのオフ、カリフォルニアの自宅で会ったとき、彼女が発した第一声がこれ。それでも、笑顔だったことを今でも覚えている。


「カッコいい自分を見てもらいたいわけじゃない。"それでもプレーしたいんです"っていうのを見てほしかった」

 同じく2007年、ドライバーのスランプに陥っている最中、日本ツアーとの共催で行なわれるミズノクラシック(現TOTOジャパンクラシック)に参戦したことを振り返っての言葉。ショットが乱れ、ほんの数年前まで日本中を熱狂させた宮里藍の姿はそこにはなかった。しかし、彼女は懸命にプレーし、多くのファンから声援を送られた。中には、心ない言葉を囁くファンもいたが、彼女は決して負けなかった。復活のときを信じて、必死に戦っていた。

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