【ゴルフ】松山英樹、語録で振り返る「怪物のルーキーイヤー」 (3ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by スポニチ/Getty Images

 帰国後、11月のカシオワールドオープン(11月28日~12月1日/高知県)では、左母指手根中手関節炎の発症によって、痛み止めを飲みながらのラウンドだった。だが、池田勇太に競り勝ち、今季4勝目を挙げるとともに、賞金王を確定させた。これまでは好結果を残せなかったものの、開催コースのKochi黒潮カントリークラブは、明徳義塾高時代に何度もラウンドした“ホームグラウンド”のような場所だった。

「(中学、高校時代を過ごした)地元で賞金王を決められたことがうれしい。(今季の)すべての優勝が思い出ですけど、どれが一番か、あえて言うなら……、やっぱりプロ初勝利かな」

 プロ転向以前に目標に掲げていた「すべての大会でトップ10を目指す」というノルマをほとんどの大会でクリア(出場13戦中10試合)し、ルーキーイヤーとしてはこれ以上ない1年を過ごした。これほどまでの快進撃を、誰が予想しただろうか。せいぜい松山本人ぐらいのものだろう。

 ひとつ、今後の課題が残ったとすれば、シーズン終盤に疲労性によるケガが相次いだことだ。体調管理や、常にベストな状態で臨めるようなスケジュール管理を心がけることが大事になる。松山は言う。

「身体の状態が良くないので、まずはしっかり治して、来年はアメリカで勝てるようにがんばっていきたい。(2014-2015年シーズンの)シードを早く決められたら、それだけ余裕を持って出場する大会のスケジュールが考えられるし、日本に帰ってきて国内のトーナメントにも出場できる。まずはシード権獲得を目指したいと思います」

 記録ずくめの1年を過ごした松山が次に目論むのは、米ツアーでの初勝利、そしてメジャー制覇である。

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