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フランク・ライカールトを「世界最高のMF」と言わしめた知的センス サッキもファン・ハールも賛辞を惜しまなかった (3ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【ミランとのCL決勝で有終の美】

「若手の手本になってくれないか」

 1993-94シーズン、ライカールトはルイ・ファン・ハール監督に口説かれて、古巣アヤックスに復帰する。エドガー・ダーヴィッツやクラレンス・セードルフなど、のちにオランダ代表の主軸となったタレントにフットボールの奥深さを伝授する役割を担った。

 効果はすぐに出た。エール・ディヴィジのタイトルを4シーズンぶりに取り返すと、翌1994-95シーズンはチャンピオンズリーグの舞台に戻ってきた。

 32歳になったライカールトのプレーは円熟味を増し、アヤックスの若手を自由自在に動かした。押さば引け、引かば押せ──。試合の勘どころを心得たコントロールが際立っていた。

 グループステージを4勝2分無敗で突破すると、準々決勝ではハイデュク・スプリトを合計スコア3-0で退け、準決勝ではバイエルンを5-2で叩きのめした。

 アヤックスをファイナルで待っていたのはミランである。ライカールトにとって感慨深い相手だ。思い出は美しく、記憶の片隅をつついただけで涙がこぼれ落ちる。いや、感傷的になっている場合ではない。勝負に徹しなければ負ける。

 前半はミランのペースだった。GKエドウィン・ファン・デル・サールの好守がなければ、アヤックスはリードを奪われていたに違いない。しかし、選手交代によって流れが変わった。

 53分、セードルフ→ヌワンコ・カヌ、68分、ヤリ・リトマネン→パトリック・クライファート。ファン・ハール監督はバランスを度外視し、より攻撃的な陣容にシフトした。

 ベンチのメッセージを敏感に感じ取ったのがライカールトである。プレーエリアが高くなった動きに伴い、アヤックスは一気呵成に攻めたてる。そして85分、クライマックスが訪れた。

 マルク・オーフェルマルスのパスを受けたライカールトが、クライファートにパス。18歳の新鋭FWはバレージとズボニミール・ボバンをかわし、貴重な1点をもぎ取った。

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