ドイツ代表、低迷期からの脱出。自国開催W杯を機に攻撃サッカーへ舵をきる (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

代表監督がサッカーを変えた

 2006年の自国開催のW杯。そんなドイツのテーマは人気回復だった。フランツ・ベッケンバウワー大会組織委員長は、歴史的背景に触れつつ、改善するチャンスにしたいと述べていた。ドイツ人の表情は全体的に固く怖そうに見える。怒っているように見えることもある。だが、このW杯期間中は違った。各会場を訪れれば、ボランティアスタッフが「ハロー!」と、作り笑いがバレバレの、固い笑顔を振りまいてきた。

 サッカーも人気不足が目立ってきた。1974年W杯決勝対オランダ戦、1982年スペインW杯準決勝対フランス戦で勝利を収める姿は、まさに敵役そのものだった。ただし「いいサッカーをしても勝たなければ意味がない」は、成績が伴って初めて成り立つ論理だ。2000年、2004年のユーロでグループリーグ落ちするなど、2006年自国開催のW杯を前に、低迷するドイツは、長所を見いだしにくい集団となっていた。

 守備的なサッカーも輪を掛けた。もともと3バック(5バック)を好む習慣があったドイツは、1990年代後半、イタリアで守備的サッカーのムーブメントが起きると、すかさず呼応。3バックとひと口に言っても、守備的なものから攻撃的なものまで幅広く存在するにもかかわらず、ドイツはイタリア式3バックにすり寄った。

 バイエルンをはじめとするブンデスリーガのクラブの多くも、イタリア的な色に染まっていった。だが2004年、そうしたなかでドイツ代表監督の座をルディ・フェラーから引き継いだユルゲン・クリンスマンは、それまでとは一転、攻撃的サッカーに転じた。2006年自国開催のW杯では3位に終わるも、大会後、クリンスマン監督のもとでヘッドコーチを務めていたヨアヒム・レーヴが監督に就任すると、その色はさらに鮮明になっていく。

 2008年ユーロ(オーストリア、スイス共催)では決勝に進出。ウィーンのエルンスト・ハッペルでスペインと対戦し、0-1で敗れたが、攻撃的サッカーのスペインに対し、攻撃的サッカーで向かっていくドイツに新鮮な魅力を覚えたものだ。

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