板倉滉の新天地ボルシアMGの黄金時代。バイエルンよりオシャレだった

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Getty Images

「ゲームメーカーは2人要らない」

 西ドイツ代表のゲームメーカーはケルン所属のウルフガンク・オベラートが務めた。左足の芸術家の異名をとった名手である。形の上ではネッツァーとのポジション争いで勝利した結果となるが、耳に残るのは「1チームにゲームメーカーは2人要らない」という岡野俊一郎さんの『ダイヤモンドサッカー』における解説だ。サッカーとはそういう競技かと、勉強させられた一件でもある。

 西ドイツは最後尾に皇帝ベッケンバウワーが構えていた。バロンドールに2回輝いたドイツサッカー史を飾るこのスーパースターも、元はゲームメーカーで、そこから1列下のリベロに転向したという経緯がある。

 ネッツァーにとって「2人要らない」の格言は、オベラートとの関係のみならず、ベッケンバウワーとの関係にもあてはまった。西ドイツ代表を皇帝ベッケンバウワーありきで考えた時、彼にとって一緒にプレーしやすいゲームメーカーは、格的に近いネッツァーではなくオベラートだった――と、岡野さんが言っていたかどうか記憶にないが、当たらずも遠からずだと思う。

 対戦相手のオランダにはヨハン・クライフがいた。そのバロンドールの受賞回数は3回で、ベッケンバウワーより1回多い、欧州ナンバーワンのスーパースターであることは言うまでもない。

 クライフはプーマと用具契約を結んでいた。広告塔の役割を果たしていた。だが一方で、オランダ代表はアディダスだった。この差を埋めるために、クライフは、ユニフォームの肩から腕の部分に入る3本線を1本削り、2本線に改造してW杯本大会に臨んだ。プーマのスパイクに入る白いラインも黒く塗りつぶしてプーマ色を消した。

 西ドイツ代表もアディダスだった。バイエルンもアディダスと契約していたので、広告塔はベッケンバウワーだった。ベッケンバウワー対クライフは、アディダス対プーマの代理戦争でもあった。

 他方、ボルシアMGはプーマで、広告塔はネッツァーだった。しかし西ドイツ代表ではアディダスを着用。普段は「ネッツァー・アツール」なるブルーに黄色のラインが入ったカンガルー製のスパイクを履いていたが、代表では規律に従いアディダスを履いた。

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