レアルにNOをつきつけた選手たち。エムバペなど、それぞれが断った理由とは (4ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

アーセナルを選んだピレス

 ロベール・ピレスは、アーセナルの黄金期の中心選手のひとりだ。しかし2000年に彼がマルセイユから移籍する時、レアル・マドリードに行く可能性もあった。レアルからのオファーを断ったのは、当時のアーセン・ベンゲル監督からの熱烈なラブコールが理由だ。

「彼は毎晩のように電話をかけてきては、僕を説得した。それがあまりにもうるさくてね、ついにはOKしてしまったんだ」

 のちにスペインの新聞「アス」にピレスはこう語っている。

「周囲の人には『レアルを断るなんて信じられない』と驚かれ、特に母には『お前はおかしい』と言われたよ。母はスペイン人なんでね」

 ピレスは当時、スペイン語はわかったが、英語はからきしだった。しかし彼はそのことを後悔していないという。

「世界で一番バカな決断だったかもしれない。でもアーセナルで多くの勝利を手にした。チャンピオンズリーグでレアルを破った時には、自分の選択は間違っていなかったと思ったね」

 彼とともにアーセナルで活躍したパトリック・ヴィエラもレアルを断った口だが、彼はピレスとは反対に、それを後悔しているという。2004年夏、レアルはその前年にチェルシーに移籍したクロード・マケレレの後任を探していて、ヴィエラに高額のオファーをした。チーム間では合意しており、あとはヴィエラが最終的決断をするだけだった。だが最後の最後に彼は翻意する。

「あの時はアーセナルでキャリアを終えたいと思っていた。そうできると信じていた。もしその2年後に移籍することがわかっていたら、マドリードに行っていたよ」

 移籍する気は満々だったのに、手違いからレアルに行くのが嫌になってしまった選手もいる。

 スペイン代表のGKダビド・デ・ヘアがそれだ。2015年夏のマーケットが閉まる直前、彼はレアルからのオファーを受け、ケイロル・ナバス+移籍金という条件で移籍が決定していた。しかしスペインの移籍市場が閉まる時間までに、ラ・リーガに選手登録の書類が提出されず、移籍は白紙となってしまった。レアル側はマンチェスター・ユナイテッドからのFAXが時間までに来なかったことが原因だと主張し、マンチェスター側はきちんと時間内に送ったと主張。両チーム間で非難の応酬が続いた。

 冬の移籍市場で改めて移籍するとも言われていたが、デ・ヘアはその9月にマンチェスター・ユナイテッドと4年の契約更新をした。

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