中村俊輔、伝説のFKから15年。左足の「魔法」によって現地記者の人生は大きく変わった (3ページ目)

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by AFLO

 もうひとつの理由は、その重みだ。グレイグが続ける。

「試合終了まで10分をきり、マンチェスター・ユナイテッドを相手に0−0だった。ナカの左足による一閃が、セルティックを史上初めてチャンピオンズリーグのベスト16に導いた。年を追うごとにあの偉業の重みは大きくなり、ナカの伝説もその価値を増している」

 マンチェスター・Uを撃破した翌日、グラスゴーではタブロイド紙から一般紙、高級紙まで、セルティックの快挙が1面を飾った。日本人記者の筆者にも「東京はどうなっている?」と取材が相次いだほどだ。時空を超えて、幸せはどこまでも広がっているように感じられた。

 音楽や絵画、映画やドラマで「名作」と言われる作品は、人々のパーソナルな思い出が重なり、それぞれの記憶のなかで宝物になっていく。サッカーも同じだ。『スコッツマン』のスミスにとって、2006年11月21日は人生で特別な夜になった。

「当時、娘が生まれてまだ3カ月だった。あの晩は妻が出かけて、初めてふたりだけで過ごしていた。セルティックがクラブ史上初のチャンピオンズリーグベスト16進出を決めた夜の最後、俺は小さなベイビー、シルビーを抱いて窓際に行った。灯台に照らされているかのように月が美しく輝いていたよ。

『ライオンキング』のシーンのように俺は娘を抱え上げ、彼女を授かったこと、そして忘れられない勝利を神に感謝した。バカげたことをしたとは自分でもわかるが、それほど喜びを感じたんだ」

 中村がセルティックで伝説になり、15年の年月が経過した。今、グラスゴーを新たな日本人が沸かせている。古橋亨梧だ。3トップのひとりとしてゴールを量産し、中村が15シーズン前に獲得したリーグMVPに早くも推されるほどだ。

 新たな日本人選手の活躍は、『スコッツマン』のスミスをノスタルジーに浸らせている。

「古橋が来たことで、中村について考える機会がたくさんある。ナカはピッチから離れると、いつも口数が多くなく、自己完結型のように感じられた。亨梧はもっと社交的で、陽気な性格のように見える。彼からは人としての温かさがにじみ出ている一方、中村は他者を尊重する雰囲気を醸し出し、サッカーに対してとても真摯な人間だと伝わってきた」

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