五里霧中のレアル、「何もない」バルサ。CLで露呈したスペイン2強の惨状 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Getty Images

 レアル・マドリードについて、スペインの評論家は、伝統的に選手で一流のレベルを保ってきたチームだと言う。バルサが「監督ありき」できたのに対し、レアル・マドリードは「選手ありき」できた。2009-10シーズンから2017-18シーズンまで8シーズン所属したクリスティアーノ・ロナウドは、それを象徴する選手になる。

 実際、その間にレアル・マドリードは、ロナウド抜きには語れないCL優勝を4回、達成している。

 今季はロナウドがクラブを離れて4シーズン目になるが、それに代わる選手を獲得できずにいる。ロナウドが去った"もぬけの殻"のような状態を、レアル・マドリードは今季も解消することができていない。ロナウドが偉大すぎて、それに続く選手を簡単に見つけ出しにくいことも事実だが、マンチェスター・シティ、パリ・サンジェルマン、チェルシーなど、石油資本を背景にした金満クラブの台頭で、特別感を出せなくなっている現状を見逃すことはできない。

 スター選手に頼るサッカーの限界を見させられている気がする。今季、カルロ・アンチェロッティを再度、監督に迎えたレアル・マドリードだが、「選手ありき」できたチームという説明に従えば、駒が変わらなければチームに勢いは戻らないことになる。

 それが現実的でないとするならば、チームを今後、どう改造していけばいいのか。巨大迷路にはまり込んでしまい、五里霧中、道筋が開けていない状態にある。

 一方、伝統的に「監督ありき」できたバルサは、リオネル・メッシが長く在籍したことで、気がつけば、レアル・マドリード的な「選手ありき」になった。ジョゼップ・グアルディオラが監督を務めていた頃までは、攻守のバランスはなんとか保たれていたが、その後、徐々に崩壊。2019-20シーズンのCL準々決勝バイエルン戦に2-8で大敗した一戦は、まさにバルサらしくない敗戦だった。

 バルサが「監督ありき」と言われるのは、ヨハン・クライフに起因する。1991-92シーズン、クーマン、グアルディオラらを率いて初めてバルサを欧州一に導いた監督であることは言うまでもないが、その哲学は攻撃的だった。バルサの代名詞はパスサッカーと言われるが、もっと根源的な言い方をすれば、攻撃的サッカーになる。

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