デ・ブライネに見る現代の「トップ下」の姿。かつての「10番」とは何が違うのか (3ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 ただ、このトップ下全盛期にもトップ下を置かない国もあった。MFをフラットに並べた4-4-2が支配的だったイングランドである。

 イングランドの4-4-2はポジションの分業化という意味で先駆的だった。それまでは攻撃的MF、プレーメーカー、守備的MFといった「役割」はあっても「場所」はミッドフィールドという漠然としたカテゴライズだった。それを、ミッドフィールドの右、左、中央右、中央左と区画整理したのが、イングランドの4-4-2だ。

 当時のリバプールを代表とする4-4-2には、トップ下のポジションが存在しない。トップ下の役割としては、得点力のあるFWが下がるか、攻守を同等にこなせるMF中央の選手が上がるか。

 中央のMFがトップ下を兼任する例としてはブライアン・ロブソン、スティーブン・ジェラード、フランク・ランパードが挙げられる。稼働範囲の広さから「ボックス・トゥ・ボックス」(自陣のペナルティーエリアから相手陣のペナルティーエリアまで)と呼ばれた。彼らより前だと、4-2-4の「2」だったボビー・チャールトンが有名だった。

<守備のタスクを負う>

 1990年代はイタリアのミランの4-4-2が一世を風靡し、ゾーンディフェンスによるプレッシングが世界的に普及していった。

 ミランの4-4-2は1980年代のリバプールを踏襲した形なので、トップ下はいない。従ってミラン型の4-4-2を採用するチームからはトップ下が消えている。しかし、フラット型4-4-2と並行して、3-5-2も広く採用されていたので、こちらはトップ下を残す余地があった。

 2000年代には4-4-2が主流になっていく。ただ、4-2-3-1という形でトップ下を温存するケースも増えたので、一時は消滅しかけていたトップ下のポジションは絶滅を免れた。

 ただし、別の理由でトップ下は危機的状況に直面する。システムがどうであれ、プレッシングが普及したことで、トップ下がプレーできるスペースが限定されてしまったのだ。

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