ジョルジーニョ、ブスケツらが活躍。なぜ中盤の底の攻撃的プレーヤーは最も重要なのか (3ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 深い場所に鎮座するディープ・ライング・プレーメーカーはクライフの発明ではない。1960年代のインテルはカテナチオで有名だが、ルイス・スアレスが深い位置から攻撃を操る役割を担っていて、イタリアでは「レジスタ」として受け継がれていった。

 スペインで「クワトロ」の伝統を引き継ぐ代表格が現在のセルヒオ・ブスケツ(バルセロナ)であり、前所属のバイエルンでチャンピオンズリーグ優勝の原動力だったチアゴ・アルカンタラ(リバプール)がいる。少し前にはシャビ・アロンソが活躍した。

 イタリアの「レジスタ」はジョルジーニョ(チェルシー)、マルコ・ヴェラッテイ(パリ・サンジェルマン)が活躍中で、その前にはアンドレア・ピルロが代表格だった。

 ディープ・ライング・プレーメーカーは、アメリカン・フットボールのクォーターバックと似ている。ラグビーならスタンドオフ。最後方ではないが後方に位置していて、そこでボールを預かって攻撃の起点となる。

 前方のアタッカーほど厳しくマークはされないので余裕はあるかわりに、絶対にミスしてはいけない。的確にパスを散らしつつ、チャンスがあれば一発で急所を突くロングパスの精度も求められる。

 ここに、このタイプの選手を起用する以上、ボール支配率を高めてより多く攻撃する意思がチームとしてなければならない。長い時間守るなら、守備力のある選手を使ったほうがいいのは自明である。攻撃する、パスをつないで押し込む、そのためのポジションだ。

<フィールドの指揮者>

 1980年代にローマでディープ・ライング・プレーメーカーだった、ブラジルのパウロ・ロベルト・ファルカンについて、当時のニリス・リードホルム監督はこう話している。

「彼はオーケストラの指揮者だ。(監督としての)私の仕事は、彼のために楽曲を提供することにほかならない」

 監督とディープ・ライング・プレーメーカーは一心同体な関係になりやすい。ジョルジーニョはいまだに「サッリの息子」と呼ばれている。マウリツィオ・サッリはチェルシーで1シーズンしか監督をしていないが、ナポリから連れてきたジョルジーニョは戦術的に不可欠な存在だった。

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