もはや「サイド」でも「バック」でもないサイドバック。マンCのカンセロに代表される最先端の姿 (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

<攻撃への参加要請が役割変化の始まり>

 偽ナントカのはしりは、スペイン語のファルソ・ヌエベ(偽9番)だった。1940年代にアルゼンチンで強力だった、リーベル・プレートのアドルフォ・ペデルネーラが元祖と言われている。1950年代はハンガリー代表のナンドール・ヒデグチが有名だ。

 この2人の共通点はオリジナルポジションがセンターフォワードではないこと。いずれもインサイドフォワードだったのがチーム事情でセンターフォワードに起用され、それがうまくいったので定着したという経緯である。

 つまり、センターフォワードがインサイドフォワードのようなプレーをしたというより、インサイドフォワードがセンターフォワードをやっていたにすぎない。場所とキャラクターのミスマッチが新しい機能性をつくり出していた。

 サイドバックも事情は似ている。

 2バック時代は3人いるハーフバックの両サイドが相手のウイングをマークしていたらしいが、3バックになって左右のフルバックがウイングのマーク専業になった。「フル」バックだから守備専業である。

 やがてリベロが導入されて4バックになっても、サイドバックの主要任務はウイングへのマーク。ただ、1960年代あたりから「攻撃するフルバック」が脚光を浴びるようになっていった。イタリアのカテナチオの大御所、エレニオ・エレーラ監督がインテルでジャチント・ファケッティに攻撃参加を促したのが最初と言われている。

 大きな変化があったのが1970年代だ。相手をマークするだけでなく、攻撃になったら前へ出ていくように奨励する監督が増えてきた。ボルシア・メンヘングラッドバッハ(ドイツ)を率いたヘネス・バイスバイラー監督が代表的で、ベルティ・フォクツは攻撃になるといつもマークしている相手を放っておいてどんどん攻め上がっていた。

 ただ、フォクツは攻撃力抜群というタイプではなく、戦術上の要請でそうしていたという意味ではファケッティに近いだろう。機能性としての攻撃的サイドバックである。

 しかし、ほぼ同時期に「天然もの」が出てきていた。

<縦方向の上下動に横の動きが加わる>

 フォクツの逆サイドにいたパウル・ブライトナーは、天然の偽サイドバックだ。

 バイエルンと西ドイツ代表のレフトバックだったが、もともとMFなのだ。1982年スペインW杯では、中盤の司令塔としてプレーしている。

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