ユーロ優勝、革新のイタリアにあった伝統。その象徴・キエッリーニが抜かれないカラクリ (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

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 次の1938年フランス大会も連覇。このころのイタリアは「メトード」と呼ばれた2バックシステムを採用していて、とくに守備偏重とは言われていない。

 カテナチオのイメージは1960年代から。チャンピオンズカップを連覇したインテルのスタイルが、アズーリの基本システムになっている。チーム構成は守備重視ながらも独特で、1990年の自国開催のW杯までつづいている。

 カテナチオのスタイルはリベロの起用が前提だが、この時代はどの国にもリベロは存在している。独特なのは相手のアタッカーをマークする選手を4人用意したことだろう。

 システムは4-3-3なのだが、DFは実質5人だった。5-2-1-2とも言うべき変則だ。2人のMFの1人はプレーメーカーでいわゆるレジスタ(司令塔)、もう1人は守備型の補佐役。FWは3人だが実質的には2トップで、1人は中盤と右サイドを兼任するワーキングウインガーだった。

 伝統的なスタイルは1990年イタリアW杯後にアリゴ・サッキが監督に就任して最初の「改革」を行ない、4-4-2のゾーンシステムにがらりと変えられた。今回の改革の口火を切った人物なのだが、サッキの改革は彼一代で終息し、後任監督たちは伝統回帰的なスタイルへ戻した。

 そして2006年ドイツW杯優勝を最後に低迷期に入り、二度目の改革ということになっている。

 ところが、かつて約30年間つづいた独特なスタイルと、2021年のチームには妙な類似点がある。

 サイドバック(SB)の攻撃参加はカテナチオ時代からのウリなのだが、なぜか常に左側だけ。ジャチント・ファケッティ、アントニオ・カブリーニ、パオロ・マルディーニの系譜を引き継いだのはレオナルド・スピナッツォーラである。

 ウイングが右側だけなのも同じ。アンジェロ・ドメンギーニ、ブルーノ・コンティ、ロベルト・ドナドーニ、マウロ・カモラネージの後継者としては、ドメニコ・ベラルディ、フェデリコ・キエーザがあげられる。

 そして司令塔としてのジョルジーニョ。もちろんまったく同じではなく、むしろ違う部分のほうが多いのだが、守備の伝統は根強く残り、最後はそれに助けられたとも言える。

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