「頼むからゴールにいてくれと批判された」。FKも蹴ったチラベルトが語るGK像の変化 (2ページ目)

  • 栗田シメイ●文 text by Kurita Shimei

――そもそも、GKを志したきっかけは?

「小さい頃に『世界一の選手になりたい』と心の中で誓ったんだけど、それを目指すなら『GKが一番現実的な道だ』と感じたんだ。私の持論だが、GKは一番サッカーを知っていて、うまい選手が務めるべき。パフォーマンスの良し悪しが勝敗に直結する、大きな責任を負うポジション。そういう点が私の性格にマッチしたんだ。単純に、パントキックの感覚がとても好きだった、ということもあるけどね(笑)」

リモート取材に応じたチラベルトリモート取材に応じたチラベルトこの記事に関連する写真を見る――GKは経験がモノをいうポジションですが、あなたは15歳でプロ契約し、19歳で海外に移籍して成功を収めています。

「実は13歳の時に、パラグアイで一番の名門であるオリンピア・アスンシオンのテストを受けにいったんだ。でも、当時のGKコーチに15分ほどプレーを見せただけで『もう来ないでくれ。時間の無駄だった』と失格の烙印を押されてしまった。その悔しさは、現役中もずっと忘れることはなかったよ。

 この話には続きがあってね。晩年にウルグアイのペニャロールというチームに移籍した際、空港からタクシーに乗ったら、なんとオリンピアのGKコーチがドライバーをやっていたんだ。『やあチラベル。俺のことを覚えているか』と言われて、かつての私への評価を謝罪されたんだけど、その時に『生きていくには、大人の意見に素直に従うだけじゃなく、時には自分の信念を貫くことが必要だ』と思ったよ。

 何が言いたいかというと、指導者や学ぶ環境によって選手の評価は変わり、可能性を見極める目はいい加減なこともあるということ。それを、サッカーをする子供たちに伝えていきたい。私の場合は、そのテストの後は運がよくて、早くプロへの道が開けた面もあるけどね」

――現役時代には実に3度、世界最優秀GKに選出されました。

「1995年に初受賞した時は、ミシェル・プロドーム(元ベルギー代表)やオリバー・カーン(元ドイツ代表)と同じテーブルだったんだ。私の名前が呼ばれると抱擁してくれて、『チラベル。君がもっとも優れたGKだ』と言ってくれた。でも私は、彼らにこう言った。『うれしいが、私自身はそうは思わない。単純なGKとしての能力は君たちのほうが上だよ』とね。

 それでも、私は他のGKとは違ったプレーができた。相手の守備陣に脅威を与えられる唯一のGKだったから、3度も賞をもらえたんだ。現役時代は、『ゴール前でファールをするな。相手にはチラベルがいる』と思われるようにプレーをしていたよ」

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