中田英寿、セリエA制覇から20年。日本人の価値を高めた圧倒的存在

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

 そして、スクデットの行方を大きく左右した第29節の2位ユベントス戦。直前に外国人枠が撤廃されたことで、それまでスタンド観戦を強いられることが多かった中田がメンバー入りを果たすと、2点のビハインドを背負うなか、負傷で精彩を欠いていたトッティに代わり、後半途中に出番が回ってきた。

 すると、中田は自ら奪ったボールをそのままドリブルで運び、豪快なミドルシュートを突き刺して反撃の狼煙。さらに、後半アディショナルタイムには再びミドルシュートを放つとこれを相手GKが弾き、こぼれたボールをモンテッラがゴール。華々しい活躍で劇的な同点劇を演出した中田は、一躍ヒーローとしてスポットライトを浴びたのだった。

 世界最高峰のリーグで、しかもローマが18年ぶりのスクデットをほぼ手中にしたその試合のニュースは、世界中で視聴されるCNNやBBCといったニュース専門チャンネルでも大きく取り上げられた。

 おそらく、それをきっかけに「セリエAで活躍する日本人がいる」ことを認知した外国人は多かったはず。ある意味それは、日本人サッカー選手の価値を一気に高めた、ワールドワイドな宣伝になったと言えるだろう。

 実は、ローマがスクデット獲得を決めたパルマ戦の前に、中田はクラブと日本代表の板挟みに遭っていた。

 当時の日本サッカー界は、翌年のワールドカップ地元開催を控えてサッカー人気が過熱していた時期。まだシーズンを戦っていた中田も、W杯のプレトーナメントとして日本と韓国で開催されたコンフェデレーションズカップに臨むトルシエジャパンに招集された。

 当初、カペッロ監督は招集に難色を示していたが、「グループリーグのみ」という条件付きで離脱を承認。そして日本代表のグループリーグ突破に貢献した中田は、フィリップ・トルシエ監督のリクエストで準決勝のオーストラリア戦に出場すると、大雨が降りしきるなか、自ら直接フリーキックを決めてチームを決勝に導いたのである。

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