イタリア代表が現代的サッカーに変貌。不可欠なMFの独特なスタイルとは

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

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サッカースターの技術・戦術解剖
第62回 ジョルジーニョ

<イタリアのレジスタの系譜>

 イタリアにはレジスタ(司令塔)の系譜がある。代表的なのは1960年代にインテルで活躍してバロンドールも受賞した「建築家」、ルイス・スアレスだ。ただ、彼はイタリア人ではない(スペイン人)。しかし、中盤の底から長短のパスで攻撃を操るプレースタイルは大きな影響を与え、イタリア代表にも常にこのタイプがいたものだ。

ユーロ2020での活躍が期待される、イタリアのジョルジーニョユーロ2020での活躍が期待される、イタリアのジョルジーニョ 82年スペインW杯優勝メンバーなら、ジャンカルロ・アントニョーニ(元フィオレンティーナほか)がレジスタだ。懐の深い持ち方から繰り出す長いパスが美しかった。アントニョーニの次は90年イタリアW杯でも活躍したジュゼッペ・ジャンニーニ(元ローマほか)。ただ、アズーリでのレジスタはジャンニーニからしばらく途絶えることになる。

 90年イタリアW杯を終えると、ミランの監督だったアリゴ・サッキが就任。サッキ監督は、ミランで大成功を収めた4-4-2のプレッシング戦法を採用した。ここで60年代からつづいた独特のスタイルはいったん終焉し、レジスタも姿を消す。

 サッキの後任となったチェーザレ・マルディーニやジョバンニ・トラパットーニは、3-5-2システムを採用してイタリアの伝統を復活させているが、全面的に回帰したわけではない。ただ、中盤の深いところでプレーするMFは組み立て専門というわけにはいかず、高い守備力を求められるようになっていた。

 レジスタらしいレジスタとして、この役割を蘇らせたのがアンドレア・ピルロだ。ミランで、このポジションでのプレーを当時のカルロ・アンチェロッティ監督に直訴したピルロは、忘れられていたスタイルを復活させる。

 高度なテクニックを持つパサーをこの位置に置くのは、実はイタリア以外の国では行なわれていた。バルセロナではジョゼップ・グアルディオラが3-4-3の中盤の底でタクトを振るい、レアル・マドリードではアルゼンチン人のフェルナンド・レドンドが司令塔だった。

 ピルロを擁するイタリア代表は06年ドイツW杯で優勝。しかし、ピルロの後継者は簡単には見つからず、イタリア代表も低迷期に入ってしまう。

 1年延期されたユーロ2020、イタリア代表には久々にレジスタがいる。系譜を継ぐのは、ブラジル生まれのジョルジーニョである。

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