W杯で活躍のトルコの英雄がウーバー運転手? エルドアン大統領から圧力 (2ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 2008年、37歳で現役を引退すると、シュクルはすぐに政治の世界に身を投じた。現役時代からこの世界には興味があったようで、2002年には、すでにインタビューにてこう話している。

「将来、僕の名前はきっとピッチの外でも聞かれると思う。なぜなら僕はトルコの人々のために何かしたいんだ。引退したら政治に参加したい」

 その知名度と人気は、政界からも歓迎された。すぐに既知の仲だったレジェップ・タイイップ・エルドアン現大統領(当時は首相)に誘われ、彼の政党AKP(公正発展党)に入った後、2011年の選挙で当選、国会議員となった。

 一方でシュクルは、「ホジャエフェンディ(尊師)」とも呼ばれるトルコの社会活動家、フェトフッラー・ギュレンの信奉者であった。イスラム教とその他の価値観を融和させようとする彼の穏健な思想は、ギュレン運動の名で知られている。ギュレンは最初の頃はエルドアンと同盟関係にあったが、次第に意見が合わなくなり、対立するようになった。

「私がAKPに入党した時には、トルコはEU寄りで安定していた。しかし、エルドアンは政権を握ると厳格さを増し、全く逆方向に向かった」

 シュクルは後にそう述べている。2013年にギュレンが正式にアメリカに亡命すると、シュクルもAKPを離党、無所属となった。

「その頃から嫌がらせが始まった」と、シュクルは言う。

「妻のブティックに石が投げ込まれたり、子供たちは道で嫌がらせを受けたりした。私が意見を公表するたびに脅迫状が届いた」

 そんな状況に身の危険を感じた彼は、2015年、母国を離れて家族とともにアメリカに移り住むことを決めた。サンフランシスコのおしゃれなベイエリア、パロアルトでカフェをオープン、コーヒーやお茶と一緒にトルコ風の軽食なども提供した。

 しかし、故国を思う気持ちは相変わらずで、自分の意見を、SNSを通してことあるごとに発信していた。それがエルドアン大統領を警戒させることになる。2016年2月、シュクルはエルドアンを中傷するツイートをしたとして、トルコで起訴され、4年の刑を求められた。

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