メッシ、ロナウド後の欧州サッカーは混沌。スーパースターは必要か?

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Reuters/AFLO

 3トップの後を、2列目以降が等間隔で追いかけてくるわけではない。両サイドバック(SB)が高い位置を取るわけでもないので、相手にボールを奪われると、相手に攻め込まれることになる。中盤は空きがちだ。プレッシングサッカーというわけではない。

 3トップの個人能力に頼るサッカーをするPSGに対し、マンチェスター・シティはチーム全体で攻める。かつては攻撃的と言えたが、世の中全体が攻撃的になっているので、オーソドックスと言った方が的確か。PSGとの違いが鮮明になるのはSBだ。

 PSGの両SBが後方に自重し、専守防衛に徹する傾向があるのに対し、マンチェスター・シティの両SB、カイル・ウォーカー(右)、オレクサンドル・ジンチェンコあるいはジョアン・カンセロ(左)は、前方で構える両ウイング、リヤド・マフレズ(右)、フィル・フォーデン(左)と、連係を図りながら攻撃に参加する。特に左サイドの仕掛けは強烈で、これにインサイドハーフのイルカイ・ギュンドアンが絡むと、その攻撃はグッと立体感を増す。

 監督のジョゼップ・グアルディオラはバルサ時代、2度CLを制している(2008-09、2010-11)が、それはメッシの全盛期と完全に重なっていた。グアルディオラにとってメッシは、当時はチームに絶対に必要な選手だったに違いないが、いまではどうだろうか。マンチェスター・シティの監督としてメッシをほしがるだろうか。

メッシがいるデメリットが目立つバルサに対し、メッシ的な選手が存在しないメリットを現在のマンチェスター・シティに見て取ることができる。フィールドプレーヤー10人が、とてもバランスのいいサッカーをする。特定のスーパースターに頼らないサッカー。そうした意味で美しいのだ。

 スーパースターには特有の臭みがある。スーパースターが抱える負の要素、その独得の臭みが集団美に勝ってしまう瞬間が、サッカーにはままある。そうした悩みがいまのマンチェスター・シティには一切ない。監督中心のもと、11人の選手が均等に、平等に、バランスよく見栄えのいい効率的サッカーを展開している。

 一方、PSGにはネイマールという独得の臭みを備えたスーパースターがいる。この差がどう出るか。ひとつ空回りすれば、ネイマールはお荷物になる。エムバペしかり、だ。

 サッカーとスーパースターの関係を、あらためて考えさせられる準決勝になりそうだ。

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