バロンドールに選ばれたアフリカの英雄が大統領になり、コロナ禍にも対応 (3ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 カラーゼが政治の世界に入ったのは、ある悲しい出来事がきっかけだった。

 彼がミランに移籍した1年目の2001年、ジョージアで医大に通っていた弟のレヴァンが、警官のふりをした2人の男に誘拐されたのだ。犯人は5000万円近くの身代金を要求してきた。

 当時のジョージアの大統領は、カラーゼの家族に全力を尽くすと約束したのに、政府や警察は実際にはほとんど何もしてくれなかったという。身代金の受け渡しもうまくいかず、結局、弟の行方はわからなくなってしまった。

 カラーゼはこの時の絶望感を、その2年後、CLで優勝した後にイタリアの『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙にこう語っている。

「こんな喜びの中にあっても、毎朝、目が覚めてまず一番に考えるのは弟のことだ。生きているのか死んでいるのか。そして神にどうか生きて元気で家族のもとに返してくれと日々祈っている」

 しかし2006年、誘拐から5年後に、ジョージア国内で8体の遺体が発見され、そのうちのひとつが弟のものであると、9カ月後に確認された。なぜレヴァンが殺されたのかは謎だが、身代金受け渡しの時に、警察が見張っていたことに気づいた犯人がパニックとなり、射殺したのではないかという噂もあった。
(つづく)

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