「リーガ史上、最も善人」のファンタジスタが語る、ペップから学んだ指導とは? (3ページ目)

  • 小宮良之●文 photo by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Getty Images

 敬虔なカトリックの一家に育ったが、子供時代は不幸に遭った。15歳の時、父親がバイク事故で命を落とし、続けて長兄もバイク事故で亡くした。有望なサッカー選手だったもうひとりの兄は、危険なタックルで膝の靱帯を切って、選手生命を絶たれている。

 自身も苦しみを味わった。2006年1月、バレロンは左膝前十字靭帯を断裂する重傷を負っている。約半年後に復帰するが、再び靱帯を痛めた。治療の経過は思わしくなく、2007年3月には再び手術を受け、治療、リハビリを行ない、2008年1月にようやくピッチに戻った。

 だがその間、彼は笑みを絶やしていない。誰にでも丁寧に接した。「リーガ史上、最も善人」と言われるほどだった。

「いろいろあったけど、現役生活は最高に楽しかったよ。それこそ、人生そのものだった」

 バレロンは現役時代を振り返り、指導者の心境を語る。

「指導者になった今は、サッカーを大きな視点で見つめるようになった。クローズアップがパノラマになったというか......。そのなかにはほとんど無限なディテールがある。選手時代は点で捉え、練習、試合、リカバリーというサイクルのなか、ひとつひとつに集中していた。指導者は流れを面で捉え、俯瞰する。個々の感覚は大事だけど、組織のために口を出し、改善する必要もあるんだ」

 デポルティーボの育成部長には"盟友"フラン(フランシスコ・ハビエル・ゴンサレス・ペレス)が就任した。現役時代、2人はともに欧州を舞台に戦った。左利きのファンタジスタだったフランは、友人グアルディオラの誘いでマンチェスター・シティのユースディレクターを経験し、それを模範にデポルティーボで改革に着手した。2人のファンタジスタのサッカー観は近い。

 デポルが復活を遂げる時、名将バレロンの誕生だ。
(つづく)

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