レアル、バルサなど引く手あまた。「南米最後の名将」は元ファンタジスタ (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

 そして1999-2000シーズンに入団したモナコで、ガジャルドはファンタジスタとして「世界デビュー」した。後にバルサに移籍するリュドヴィク・ジュリとのコンビネーションは抜群で、ダビド・トレゼゲ、マルコ・シモーネというワールドクラスのストライカーを操り、得点を量産させている。チームをリーグアン優勝に導いて、リーグ年間最優秀選手にも選ばれている。

 ラインの間を漂って巧妙にパスを受け、呼吸するように自然にスルーパスを送る。そのキック精度は高く、回転をつけ、足元に収まるボールを蹴ることができた。その姿は優雅だった。

 ガジャルドはその後、ファンタジスタにありがちな衝突も起こしている。新たにモナコの監督に就任したディディエ・デシャンは自由な気風を好まず、スター選手を容赦なく切り捨てていった。そして2003年には、ガジャルドも退団を余儀なくされた。

 26歳になったガジャルドは古巣リーベルに戻ってタイトルを取った後、フランスのパリ・サンジェルマンへ、さらにMLSでファンタジスタとして好待遇で迎えられるも、移籍するたびに下降線を辿っていった。代表でもフアン・ロマン・リケルメ、パブロ・アイマールなどが台頭し、2003年を最後に選ばれていない。

 リーベルで3度目の在籍を経験した後、最後は2011年にウルグアイのナシオナルでプレーし、引退と同時に指導者に転身した。

◆たぶんメッシよりすごかった。マラドーナにあった猛烈なエネルギー>>

「自分は選手時代、サッカーに情熱を感じてきた。はっきり言って感覚的なプレーヤーだった。でも、29、30歳から、なぜこうなるのか、と自問自答して生きるようになった」

 ガジャルドはサッカー観の変化を語っている。キャリアの終盤は、監督となるための素地づくりになっていたのかもしれない。

「監督はいつだって、自らに疑問を投げかける。四六時中、物事を分析し、答えを探そうとする。そういう性分で、それができるのが資質と言えるかもしれない。下した決断が、正しいか、正しくないか。後者ならなぜそうなったのか。延々と思考し続ける。そこで大事なのは真実だ。そこに少しでも嘘が混じっていたら、絶対に答えは導き出せない」

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