100年前、リバプールに5万人の観客を集めた女子サッカーの数奇な歴史 (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 僕たちの社会は男子サッカー選手を「理想の男性」としてあがめるが、女子サッカー選手を「理想の女性」とは見ない。女子サッカーに対する僕たちのジェンダー的な視点を検証してみると、いかに古い感覚を引きずっているかがよくわかる。

 女性がサッカーを始めたのは、男性が始めたすぐ後だった。事実、女子サッカー人気が最も高かったのは、1世紀近く前のことだ。第1次世界大戦のさなかに、北イングランドのプレストンにあるディック・カー軍需技術工場では、昼休みやティータイムにボールを蹴る男性に女性たちが加わるようになった。このころはいわば「ウーマン・リブ」の時代で、戦場に行った男性の仕事を女性が奪っていた。

 やがて女性労働者は自分たちのサッカーチームを作った。「ディック・カー・レディーズ」はおそらく女子サッカーで最高の人気チームになった。1920年12月26日にリバプールで行なった試合は、実に5万3000人の観衆を集めた。もしあのまま人気が続いていたら、女子サッカーは今ごろどうなっていただろう。

 しかし、1921年にバブルがはじけた。戦争が終わり、女性はキッチンに戻り、イングランドサッカー協会は女子の試合を行なうことをクラブに禁止した。この措置はその後50年も続くことになる。イングランドの女子サッカーは公園のぬかるんだグラウンドに追いやられ、しぼんでいった。

 他のヨーロッパ諸国でも1920年代後半から、女子サッカーは活動を制限されたり禁止されたりした。第2次世界大戦前にフランクフルトの女子サッカー選手は「おとこ女」とからかわれたと、歴史学者のマライカ・ケーニヒは言う。彼女は女子サッカーのたどった道を「抑圧と抵抗」の歴史のひとつと見ている。ドイツサッカー協会が女子サッカーを禁止したのは1955年と、わりと最近のことだ。

 60年代後半に再びウーマン・リブが起こると、女子サッカーにも復活の兆しが見えてきた。当時はまだ、女子サッカー選手は「レズビアン」というレッテルを貼られた。昔ながらの「女らしさ」を放棄したことへの罰のようなものだ。

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