監督が重宝する多機能型の始まり。フランスW杯のコクーから酒井高徳まで (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

 この時のアヤックスでは、ダニー・ブリント、フランク・ライカールトもCB、SB、守備的MFでプレーした。その結果、中盤ダイヤモンド型3-4-3上に並ぶ選手の配置は、わずか2度の交代で劇的に変化した。

 1995-96、95-96シーズンのアヤックス。そして1998年W杯のオランダ代表。これに続いたのは、2002年日韓共催W杯の韓国代表だ。フース・ヒディンクが韓国代表監督に就任したことと、それは大きな関係がある。

 ヒディンクの戦術的な交代を支えた選手は、パク・チソンとユ・サンチョルだった。彼らの並外れた多機能性によって、チームは選手交代のたびに大きく変化していった。決勝トーナメント1回戦のイタリア戦。中盤ダイヤモンド型3-4-3の1トップ下で先発したユ・サンチョルは、選手交代のたびにポジションを変え、試合終盤には3バックの左サイドを担っていた。

 記者席に座るライターでさえ、変化のあらましを把握するのに四苦八苦するほどだった。ピッチ上で対峙する相手チームの混乱が、その比ではないことが、手に取るように伝わってくるのだった。

 オランダ代表は、1994年アメリカW杯で、優勝したブラジルに準々決勝で2-3と敗れていた。ダラスのコットンボウルで行なわれた大会随一の名勝負となったこの一戦、もしオランダにルート・フリットが出場していたら、結果はどうなっていただろうか。

 フリットは当時のディック・アドフォカート監督とポジション問題で対立していた。大会の数カ月前、「監督が右ウイングでプレーしろと言うのなら、オランダ代表としてW杯に参加することを辞退するつもりだ」と、フリットは筆者のインタビューに答えていた。

 フリットがプレーを望んでいたポジションは4-3-3のCFだった。しかし、そこにはマルコ・ファン・バステンという傑出したストライカーがいた。フリットは右のウイングに十分適性があったはずだが、それでも真ん中でプレーしたいと渋り、結局、代表を辞退することになった。フリットはリトマネンとは対照的な、監督にとって使い勝手の悪いスター選手だった。

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