元オランダ代表の地獄からの生還。YouTuberとなって暴露連発&若手に忠告

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 ミラノには友達もいない。ファン・デル・メイデは憂さ晴らすかのように、夜遊びに出るようになった。

「1シーズン目には、出かけることはほとんどなかった。でも、もうプレーさせてもらえないと考え、夜遊びを始めた。サッカーから逃げるように酒を飲むようになった」

 実は父親もアルコール中毒だった。ファン・デル・メイデ自身はそんな父が大嫌いで、アヤックスのユースに入った時は母親の名字を名乗りたいと希望したほどだ(結局それは却下された)。

 ミラノでともに住んでいた最初の妻は、病的というほどの動物好きで、家に犬に馬、しまうま、オウム、亀、そしてラクダまで飼っていた。

「ある日、仕事から帰ってくると、ガレージの暗闇から変な声が聞こえ、そこにはラクダがいた」

 2005年、ファン・デル・メイデはエバートンへの移籍が決まったが、妻は動物を飼える家がないと言ってミラノに残り、リバプールには単身赴任することになった。エバートンでの給料はインテルより良かったが、デイビッド・モイーズ監督もあまり彼を使ってはくれなかった。

 そこでファン・デル・メイデはまた、夜の街に繰り出すようになる。フェラーリに乗り、有名なバーでまず一杯ひっかけては、近くのストリップクラブに通った。エバートンでの1年目はケガもあり、結局10試合しかプレーできなかった。酒とバカ騒ぎが日常となった。睡眠薬を飲まなければ眠れなくなった。睡眠薬は医者の処方がいるものだが、それだけでは足りないので、チームの医務室から盗んでいた。

 そんな彼をチームはほとんど使わなくなり、それがまたフラストレーションとなって酒量が増える。ストリッパーの女性との関係がばれて、妻とも離婚した。チームの誰ともしゃべらず、誰も信用できず、悩みを相談することもできない。当然、契約は更新されず、結局エバートンでは24試合をプレーしたのみに終わった。

 2009年にプレーするチームを失うと、状況はさらに悪化した。アルコールに加えてドラッグが生活に入ってきた。

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