マラドーナ、狂乱のナポリ時代。「神の子」の転落が秘蔵映像で明らかに (3ページ目)

  • 桜田進ノ介●文 text by Sakurada Shinnosuke

 マラドーナは1960年、ブエノスアイレス南部ラヌースの貧困家庭に、8人きょうだいの5番目として生まれた。幼い頃からサッカーで頭角を現し、15歳11ヵ月にして、アルヘンティノス・ジュニオルスでアルゼンチンリーグ史上最年少デビューを果たす。地元の強豪ボカ・ジュニオルスを経て、82年には欧州屈指の名門クラブ、FCバルセロナに史上最高額(当時)の移籍金760万ドルで移籍するが、バルサでは周囲との軋轢(あつれき)もあり、思うような結果が残せなかった。

 84年、今度は、それまでイタリアリーグ(セリエA)で一度も優勝したことがないSSCナポリに、自身の持つ記録を塗り替える移籍金1300万ドルで移籍する。スタジアムで行なわれたお披露目には、なんと8万5000人が殺到。この時が、まさにマラドーナ時代の幕開けだった。ナポリ在籍は84年から91年までだが、この期間に彼の栄光と挫折が凝縮されており、だからこそ、カパディア監督もナポリ時代を中心に映画を構成したのだ。

 86年のワールドカップ・メキシコ大会では、準々決勝でサッカー史に残る"神の手ゴール"と"5人抜きゴール"によりフォークランド紛争の宿敵イングランドを撃破、その勢いに乗って2度目のワールドカップ優勝を果たす。そして翌年、セリアAの86-87シーズンで、ついにマラドーナはSSCナポリにクラブ史上初となるスクデット獲得(リーグ優勝)をもたらし、ナポリを熱狂の渦に巻き込んだ。

 映像に記録された、当時のナポリの狂乱状態はすさまじい。市街地では、老いも若きも、男も女も泣き叫び、ナポリの旗を掲げた車が夜通し走り回った。街のあちこちで祝賀パーティーが2ヵ月以上も続き、ビルの壁や建物の塀にはマラドーナの肖像が描かれた。"カーニバルのような"などという生ぬるい表現ではとても言い表せないほど大勢のナポリ市民が、まるで魔法にかかったかのように狂喜した。

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