中田英寿の脚を削りベッカムを一発退場に。シメオネのすごすぎる武勇伝 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

 選手は監督から様々な使命を授かり、ピッチに入っていくものだが、カレッカがこの時、ファルカンから授かった指示ほど低級なものはないだろう。それがアルゼンチン対ブラジルという一流の舞台で起きた出来事だったことに、カルチャーショックを覚えたものだ。

 アルゼンチンのどの選手にカレッカの唾が向けられたのか、現場ではよくわからなかったが、ディエゴ・シメオネだった可能性は高い。

 ブラジルとの乱戦を制したアルゼンチンは、この1991年大会に優勝。さらにその2年後に開催された1993年エクアドル大会でも決勝に進出。グアヤキルでメキシコと対戦した。

 筆者が肩入れしていたのは、この大会で好チームの名を欲しいままにしていたメキシコ。試合はアルゼンチンがガブリエル・バティストゥータのゴールで先制すれば、メキシコがPKで追いつく面白い展開で、終盤を迎えていた。

 後半29分。アルゼンチンはシメオネが中盤を右斜め前方方向にドリブルで激走した。メキシコ選手2人が対応し、ボールはタッチラインを割った。アルゼンチンボールなのか、メキシコボールなのか。マイボールを主張するメキシコ選手2人を尻目に、シメオネは副審が判定を下す前にボール拾い上げ、数的有利な状況になったスペースを走るバティストゥータのその鼻先へ、間髪入れず、スローインを投げ入れた。

 そのけっしてうまいとは言えないドリブルで、狙いどおりスローインを獲得し、可能な限り時間をかけずに投げ入れることで、メキシコの混乱を誘う。バティストゥータと示し合わせた狡猾なシナリオに見えた。

 シメオネ。アトレティコ・マドリードの監督として名将の誉れ高い現在の姿を、現役時代に予見することはまるでできなかった。

◆シメオネが選手に伝える現役時代の自らの資質「泥が見えたら飛び込む」>>

 狡いだけではなかった。危険なプレーも平気でやった。

 1996-97シーズンのスペインリーグ、アトレティコ対ビルバオ戦。12月8日にサン・マメスで行なわれた試合を、筆者は欧州のどこかのホテルで観戦していた。その後半のあるときだった。画面手前のタッチライン方向へ、シメオネがボールを追いかけている時だった。その背後から、ビルバオの華麗なゲームメーカー、スペイン代表のフレン・ゲレーロが、そのボールをさらおうと、身体を半分、滑らせながら、シメオネに迫っていった。

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