ズドンと一撃、観客震撼。中田英寿からロベカルなど強シューターの系譜 (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 それから10年、ブレ球は必ずしも流行っていない。だからといって強シューターも増えていない。中途半端な状態にある。あえて現代の強シューターを挙げるならクリスティアーノ・ロナウドか。

 かつてはゴロゴロいた。筆者の目に最初に飛び込んできた強シューターは、1970年代に主にリーズ・ユナイテッドのFWとして活躍したピーター・ロリマーだ。『ダイヤモンドサッカー』(テレビ東京系)でお茶の間観戦を通して知った選手だが、何と言ってもパンチ力が抜群だった。「サンダーボルト」の異名をとる、常に右足を大きく振りたがっている、ぶんぶん丸風の選手だった。その初速は90マイル、約145キロと言われた。

 88年の欧州選手権を制したオランダ代表の主力級4人組と言えば、マルコ・ファン・バステン、ルート・フリット、ロナルド・クーマン、フランク・ライカールトを指すが、強シューターはフリットとクーマンだった。

 クーマンの右足が炸裂した試合として記憶されるのは、ウェンブリーで行なわれた1991-92のチャンピオンズカップ決勝だった。バルセロナ対サンプドリア。0-0で迎えた延長後半7分、バルサがFKのチャンスを得ると、クーマンが登場した。そこで目にも止まらぬ高速弾が炸裂した。バルサを初の欧州一に導く劇的な一撃だった。

 フリットは、クーマンの一撃に沈んだサンプドリアに、1993-94と94-95シーズン在籍していた。急傾斜で密閉性の高いそのホームスタジアム、ルイジ・フェッラーリスで、フリットが自慢のドレッドロックヘアを振り乱すように強シュートを放つと、スタンドはズドンという炸裂音とともに震撼した。

 当時のイタリアは、現在とは異なり世界中のスターが結集していた。強シューターの数もそれに応じていた。最も馬力に溢れていたのは、フィオレンティーナのCFとして活躍したガブリエル・バティストゥータ。フリットの炸裂音も凄かったが、バティストゥータも負けず劣らず、だった。

 当時の「ガゼッタ・デッロ・スポルト」紙は1995シーズン当時、初速が140キロ台を示す強シューターはさらに3人いると報じた。

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