2021.01.20

ズドンと一撃、観客震撼。中田英寿からロベカルなど強シューターの系譜

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

◆語り継がれる中田英寿の伝説。あの日セリエAでイタリア人の度肝を抜いた>>

 ローマとユーベはこの時、優勝を激しく争っていた。勝ち点は63対57。ローマが残り5試合で6ポイント、リードしていたが、0-2のまま終わっていれば、両者の差は勝ち点3。1ゲーム差に詰まっていた。ローマが勝てば優勝に大きく近づき、負ければ優勝争いが混沌とする、まさにこのシーズンの天王山に当たるビッグマッチで、中田の右足は火を噴いた。

 同年3月24日。パリで行なわれた親善試合のフランス戦と言えば、日本代表が0-5で大敗した試合として記憶されるが、中田はフランスゴールに右足のインステップで強シュートを見舞っている。ゴールこそならなかったが、強敵相手に孤軍奮闘した姿は、いまだ脳裏に鮮明だ。

 本田圭佑は右膝を手術するまでは強シュートを武器にしていた。記憶に残るゴールは2つある。

 ひとつはCSKAモスクワに移籍した09-10シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝トーナメント1回戦セビージャ戦だ。ルジニキで行なわれた初戦は1-1。サンチェス・ピスファンで行なわれた第2戦(3月16日)も、後半の途中まで1-1(合計スコア2-2)のイーブンで推移していた。本田の左足が炸裂したのは後半10分。FKからの一撃だった。GKを強襲しながらゴールに吸い込まれていった決勝弾は、強シュートでもあったが球筋がブレでいたことも確かだった。

 本田はその3カ月後に披露したFKでは、山なりの緩いキックでゴールを決めた。見るものをアッと驚かせた2010年南アフリカW杯グループリーグ第3戦デンマーク戦(6月24日)の先制弾である。

 35メートルの超ロングシュートと言えば、それまで強シュートと決まっていた。それが、この頃からブレ球が主流になっていった理由は、ボールの作りの変化と深い関係がある。ボールはより軽くなり、強いて言えばバレーボールに近づいた。その結果、GKにとって脅威となるブレ球が蹴りやすくなった。強シュートの価値は必然的に低下。強シューターが生まれにくくなった原因のひとつと言いたくなる。