ミラン黄金期を築いたオランダトリオ。その後は3者3様も監督では大成せず (4ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • photo by BUZZI / FOOTBALL PRESS

 今はトレードマークのドレッドヘアをバッサリ切ったが、サッカーに対する情熱は変わらず、BBCなどで解説者もつとめている。一昨年には孫も生まれ、56歳でおじいちゃんにもなった。

◆バルサを救った「クライフの使徒」。ライカールトが語った監督の本懐>>

 監督として一番成功したのは間違いなくライカールトだろう。低迷していたバルセロナを、スペインのみならずヨーロッパの頂点にまで導いた功績は忘れられない。ライカールトのもとでロナウジーニョは最盛期を迎え、アンドレス・イニエスタやリオネル・メッシが台頭してきた。

 しかし、FIFAの年間最優秀監督賞も受賞するなど、彼の前には華々しい監督人生が広がっているように思えたが、バルセロナを辞した後は、ガラタサライで結果を残せず。女性問題から逃れるように引き受けたサウジアラビアの代表監督でも芳しい成績は出せなかった。

 2013年、彼は監督業をやめると、フロリダの小中高一貫私立校のサッカーアドバイザーになった。プロサッカーの世界から離れフロリダで自分の人生を生きることにしたのだ。

「選手や監督は楽しかったし、サッカーは私に多くのものを与えてくれた。しかし今はもうピッチに戻りたいとは思わない。遠くから見ているだけで十分だ。サッカーの世界に未練はない。60歳になってもピッチに立っていたくはないよ」

 イタリアの『メディアセット』のインテビューで、彼はこう語っている。監督を続けないことを惜しむ声もあちこちから聞こえるが、今のところ彼の決意は固いようだ。

「監督を始めた時から、それほど長くは続けないだろうと思っていた。16年間、監督業を心血注いでやって来たことは確かだが、自分が監督に向いていると思ったことは一度もなかったし、今でもそう思う」

 昨年3月、ライカールトとはフリットともに、アムステルダム西部のバルボア広場の一角にクライフコート(クライフ財団が支援する人工芝のミニコート)をオープンした。子供たちがもっと気軽にボールを蹴れる場所を提供するためだ。彼らがこの場所を選んだのは、まさにこの広場でライカールトやフリットがボー ルを蹴り始めたからだ。

「このコートからまた新たにプロの選手が生まれてくれたならうれしい」

 オープニングセレモニーで2人はそう言っていた。 

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