マラドーナが典型。10代でデビューしてスーパースターになった選手たち (2ページ目)

  • 中山 淳●文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Getty Images

 驚くべきは、のちに自伝『YO SOY EL DIEGO』の中で当時を回顧した本人の談話である。

「その試合で感じたのは、相手のタックルがユースの試合と比べてハードだったこと。だからトップの試合では、素早くジャンプする必要があった。相手に向かってドリブルをして、相手のタックルをジャンプで避けて、またドリブルでボールを運ぶ。これができなければ3回目には削られてしまい、プレーができなくなってしまうってね」

 その言葉どおり、当時の映像を見ると、マラドーナが巧みに相手のタックルをかわしながらボールを運び、次々とチャンスを演出するシーンが確認できる。ただテクニックに優れているだけでなく、自分が持っている能力を試合のなかで最大限に発揮するいくつもの術を、若くして身につけていたことが、マラドーナのマラドーナたる所以と言える。

 そして11月14日のサン・ロレンソ戦で、初ゴールを含めた2ゴールをマークしたマラドーナは、そのシーズンで11試合に出場して2ゴールを記録。さらにデビューから約3カ月後の77年初頭には、セサル・ルイス・メノッティ監督率いるアルゼンチン代表に招集され、2月27日のハンガリーとの試合でA代表デビューを飾っている。

 トップでまだ11試合しか出場していない16歳の少年が、国を代表するチームの一員になったのだから、国中がその天才少年に熱狂するのも当然だ。

 77年シーズンは19ゴールをマークし、さらに3年目と4年目に26ゴール、そしてアルヘンティノス5年目にあたる80年シーズンには45試合で43ゴールを量産。78年前期リーグ、79年前期リーグ、後期リーグ、80年前期リーグ、後期リーグと、計5度の得点王に輝くなど、その後も加速的な成長を見せて20歳を迎えた。

 ちなみにその間、マラドーナは日本で開催された79年ワールドユース選手権(現U-20W杯)で初来日を果たし、優勝トロフィーを掲げている。のちに"神の子"として伝説となるティーンエイジャーのプレーを目の当たりにできたという点で、日本のサッカーファンは恵まれた境遇にあったと言えるだろう。

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