マラドーナの足をへし折った男の言い分。「何も悪いことはしていない」

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Press Association/AFLO

 実はゴイコエチェアはその2年前にも、バルセロナのドイツ人ファンタジスタ、ベルント・シュスターの膝十字靱帯をタックルで断裂させていた。言わば、"前科"があった。彼はこの時も、「ディフェンスとして、勝利のために当然のことをやった」と居直っていたのだ。

 一方、足を折られたマラドーナは、この時だけでなく、90分間を通じてタックルの集中砲火を受けていた。どれも野蛮で暴力的。ゴイコエチェア以外の選手にも踏みつけられ、殴られ、蹴られ続けていた。

「(この行為が許されるのが)正義なら、俺はコンゴへ行く」

 歩行不能にされたマラドーナは、独特の表現で無慈悲な暴力に抗議している。

 明らかなゴイコエチェアの蛮行に対して、試合中はイエローカードが出されただけだった。その後、事態を重く見たリーガが18試合出場停止を視野に入れて処分を検討したが、結局は6試合に減じられた。暴力に甘い時代だったのだ。

 今でも、「相手のエースを殺せ」という表現は残っている。しかしそれはあくまで比喩で、「自由にさせるな」と同義だろう。しかし当時は文字どおり、「選手として殺せ」だった。

 クレメンテ監督は、過熱した批判にこう言い返している。

「おまえら、何を甘ったれたことを言っている。俺自身、ひどいタックルで膝をぶっ壊されて、引退を余儀なくされたんだ。ここはそういう世界なんだよ」

 実際、危険なタックルで選手生命を縮めるケースは少なくなかった。当時はその中で生き残れてこそ、一流選手として賛美された。暴力をねじ伏せるほどの男っぽさがなければ、スーパースターにはなれなかったのである。
 
 是非の問題ではない。そういう時代だった。

――もう一度、同じことをやりますか?
 
 筆者はしつこくゴイコエチェアに訊ねた。

 彼は何も答えなかった。口元は笑っていたが、言葉にしない。そして、視線だけは射るようでスゴみを感じさせた。

 ゴイコエチェアは、彼なりの信条で戦い続けたのだろう。1982―83シーズン、ビルバオはバルサを抑え、リーガを制覇している。そのタイトルこそが彼の正義だ。

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