クラシコに勝利した6日後、なぜかレアルはトルシエジャパンと戦った (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 中島大介●写真 Nakashima Daisuke

 その晩のサンティアゴ・ベルナベウは、何事もなかったかのように満員の観衆で埋め尽くされ、ピエール・ルイジ・コッリーナさんの笛のもと、レアル・マドリードが2試合の合計スコア3-1でバルサを下し、決勝進出を果たしたのだった。

 このETAによるテロで死者は出なかった。しかしその2年後、同じマドリードで発生したテロは違った。191人もの人が亡くなっている。その時も筆者はマドリードにいた。カステリャーナ沿いのホテルでそのニュースを知った。

 2003-04シーズンのCL決勝トーナメント1回戦。レアル・マドリードが、サンティアゴ・ベルナベウで行なわれたバイエルンとの第2戦に1-0で勝利を飾り、通算スコア2-1でベスト8入りを決めた、その翌朝に発生した出来事だった。

 ホテルの部屋のテレビは、テロの現場のひとつになったアトーチャ駅の模様を映し出していた。アルカイダの犯行だという話だった。前夜、行動をともにしていたカメラマンのことが気になった。アトーチャ駅から列車で、次の取材先に向かうと聞いていたからだ。

 幸いにも、知人カメラマンはテロに巻き込まれていなかったが、同じマドリードのホテルの一室で、2度にわたり近場で起きたテロのニュースをテレビから知ることになるとは、いま振り返っても驚きである。

 小さな事件に巻き込まれたことはある。サンティアゴ・ベルナベウの報道の受付に並び、順番を待っている時だった。背後から右の袖をしきりに引っ張られる感じになった。「ハポネス」の声も聞こえた。スリだ。経験上、逆(左)のポケットが狙われていると判断した筆者は、ちょうど吸っていた煙草(当時はこういう状況で普通に吸えていた)を、忍び寄る悪の手に押しつけてやろうと、息を潜めるようにタイミングを計った。計画は大成功。しっかりうめき声を確認することができた。

 この欄でも幾度となく触れているが、この当時、日本から観戦に出かけるサッカー好きは、いまとは比較にならないほど多くいた。中でもCLの決勝トーナメント1回戦、準々決勝あたりは、学生の旅行シーズンと重なっていて、練習日にも多くの日本人観光客の姿を見ることができた。

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