カズの父親のひと言が心に残る。W杯開幕前日に完成した「殿堂」 (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 カルチョの殿堂に、日本人として初めて降り立ったのはカズこと三浦知良だった。1993年12月29日。(クリスマススターズ)世界選抜対ミランのチャリティーマッチに世界選抜の一員として出場。レアル・マドリードにも所属したメキシコ代表CFウーゴ・サンチェスに、クロスボールを送りアシストを記録している。

 翌1994-95シーズン、ジェノアに移籍したカズは、ミランとのアウェー戦に2トップの一員として先発出場。再びジュゼッペ・メアッツァの土を踏んだ。しかし、ご承知のように前半28分、空中戦でフランコ・バレージと激突。鼻骨骨折の重傷を負った。

 カズが届きそうもない空中戦を無理に挑んだため。こちらにはそう見えた。カズは目も腫らしていた。それでもカズは前半、最後までピッチに立ち続けた。頑張って立とうとするボクサーのごとく。

 翌朝、同じホテルに泊まっていたカズの父親が、隣のテーブルで朝食をとっていた筆者にこう言った。「知良はイタリアのサッカーに合っていない」。ジーンとさせられるひと言だった。

 遠い26年前の話になるが、この試合をジュゼッペ・メアッツァの現場で観戦していた日本人は、いまでは考えられないほど多くいた。折からのイタリアブームと重なり、ミラノでサッカー観戦をすることは、一般的なファンにとって、それほど大仰な話ではなかった。そういう時代だった。

 ミラノは世界のサッカーの中心地であり、発信源であった。ジュゼッペ・メアッツァはカルチョの殿堂と言うより、世界サッカーの殿堂だった。最新の欧州クラブランキングではインテルが25位で、ミランは61位。欧州最高峰のカテゴリー4の称号を維持するホームスタジアムに、両チームは大きく劣っている状態にある。ミラノ勢の復活を祈っているのは、ジュゼッペ・メアッツァに他ならない。

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