中田英寿、香川真司もプレミアの壁に苦戦。
一番成功した日本人選手は?

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by AFLO

「たかが4試合、されど4試合」なのが、プレミアリーグだ。稲本や戸田と同じように日本代表として数多くの国際大会を経験し、プレミアリーグでのプレーを夢見てイングランドのクラブに移籍しながらも、リーグ戦に出場できなかったケースは少なくないからだ。

 川口能活は2001年に日本人GKとして初めて海外移籍を実現させ、当時チャンピオンシップ(2部)を戦っていたポーツマスに加入。1年目は2部で11試合に出場したが、2年目は2部で1試合のみ。チームはこのシーズンで昇格を勝ち取ったが、川口は3年目にプレミアリーグに挑むことなく、出場機会を求めてデンマークのノアシェランに移籍した。

 2002年日韓W杯で代表だった西澤明訓は、2001年にプレミアリーグを戦うボルトン・ワンダラーズに入団したものの、リーグ戦の出場は叶わずにシーズン途中で退団となった。このほか、阿部勇樹(2010-12レスター・シティ/現浦和レッズ)や李忠成(2012-14サウサンプトン/現京都サンガ)もプレミアリーグを戦うことなく、イングランドを後にしている。

 プレミアリーグに挑んだ日本人選手で「最初の成功者になる」と期待されたのが中田英寿だった。

 21歳だった1998年7月にペルージャに移籍してから、ローマやパルマなどのセリエAのクラブを渡り歩き、28歳になった2005-06シーズンの新天地に選んだのがボルトン。シーズン序盤はサム・アライダス監督からの信頼も厚くスタメンに名を連ね、第10節のWBA戦でプレミア初ゴールを記録した。

 しかし、その後は日本代表戦のたびにチームを離れたことが響いてチーム内の序列を下げ、リーグ戦38試合のうちスタメンで14試合(途中出場7試合)に出場して1得点。2年目での本領発揮を待望されたなか、中田は2006年ドイツW杯をもって現役生活にピリオドを打った。

 それから7シーズン後、再び日本代表のエースがプレミアリーグ挑戦の時を迎えた。香川真司がドルトムントでの活躍がアレックス・ファーガソン監督の目に止まり、2012年にマンチェスター・ユナイテッドに完全移籍を果たす。

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