ジダンの特異性とトルシエジャパン惨敗。欧州スポーツの聖地で見た事件 (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

 なんか変だな。この違和感は一般席に着くと一段と深まった。スタジアムは普通ではない異様な空気に包まれていた。アルジェリアが1962年にフランスから独立して以来、初めて行なわれる対戦だという事実は知っていた。しかし、それが具体的にどんな意味を持っているのかまでは心得ていなかった。

 フランスホームなのに客席にブルーが少ない。スタンドはアルジェリアのグリーンによって8割方占められていた。試合前、フランス国歌が流れると、スタンドは大ブーイングに包まれた。

 フランスに暮らすアルジェリア人、あるいはアルジェリア系フランス人すべてがスタッド・ドゥ・フランスに大集合したという感じだった。フランス代表のレプリカユニフォームを着ている人もアルジェリア系だった。そのほとんどが、ジネディーヌ・ジダンのユニフォームを着ていたからだ。グリーンを身に纏っているファンも、インナーにたいていがジダンのフランス代表のユニフォーム、またはレアル・マドリード(当時ジダンが所属していた)のユニフォームを、まさに隠すように着ていた。フランス代表のエースであるジダンは、同時にアルジェリア系の人たちにとっての英雄でもあるのだ。

 試合は後半30分過ぎた段階で4-1と、フランスが実力の違いを見せつけていた。ジダンもすでにベンチに引っ込んでいた。アルジェリア系の女性が、アルジェリア国旗を掲げピッチに乱入したのはこのタイミングだった。係員はその侵入を制止できたはずなのに止めなかった。係員にもアルジェリア系が多くいたものと考えられる。

 すると、スタンドからピッチに観衆が次々に乱入。その数は気がつけば何百人、何千人に達していた。スタジアム全体が無法地帯と化していた。

 試合はそこで打ち切りになった。これまで様々な試合を見てきたが、このフランス対アルジェリア戦は忘れられない一戦となっている。その背景に潜むテーマの重さ、複雑さ、さらにはジダンという選手の特殊性を垣間見た気がした。

 そのジダン率いるフランス代表と日本代表(トルシエジャパン)はその半年前、スタッド・ドゥ・フランスで対戦していた。

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