名選手が名将になった!デシャン監督の負けにくいチームのつくり方 (3ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

フランス代表をW杯初優勝に導いたエメ・ジャケの手法>>

 特徴的なのは、ワールドカップメンバーの選出方法だろう。同じタイプの選手を選んでいない。

 たとえば、オリビエ・ジルーは頑健で高さとパワーに秀でたセンターフォワード(CF)だが、控えにジルーと同じタイプのCFを選ばなかった。

 ハイクロスとポストプレーをチームの形として考えているなら、ジルーの控えにジルーと似た選手を選出するはずだ。だが、そうしなかったのは、デシャンが最初からチームのプレースタイルを1つにまとめようとは思っていなかったからだ。実際、ロシアW杯でもチームの骨格が固まったのは大会中だった。

 ジルーでなければ、CFはアントワーヌ・グリーズマンかキリアン・エムバペになった。ジルー、グリーズマン、ムバッペはそれぞれまったく特徴が異なっている。MFのエンゴロ・カンテとスティーブン・エンゾンジも同様。最終的にサイドハーフとして起用したエムバペとブレーズ・マテュイディも、左右でまるっきり個性が違っていた。

 これが意味しているのは、チームの完成形を固定的に考えていないということだろう。右肩上がりにチームの連係が深まり、完成していくようなイメージを持っていない。

 それぞれの特徴のベストを集め、セカンドベストは選ばない。この方法だと、多種多様な強みを持てる。しかしその反面、チーム全体の連係や熟練度には難が出るのだが、デシャンはそこに期待をかけなかった。

 これは彼が主将だった98年のフランス代表とよく似ている。

 当時のエメ・ジャケ監督も、多くの選手とシステムをテストしつづけ、どれがベストチームなのか理解に苦しむほどだった。共通項は、苦手をつくらないこと。1つのスタイルを極めるのではなく、あらゆる相手や状況に対応できる能力を優先した。

 だが、それではいつまで経ってもチームは即興のパッチワークになってしまう。そこで、デシャンの場合は最低限の土台だけは強固につくっていた。

 18年のフランス代表の戦術は、02年のモナコとほぼ同じと言っていい。

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