名選手が名将になった!デシャン監督の負けにくいチームのつくり方 (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 名選手は名監督になれるのか、それともそうではないのか。この問いに対するデシャンの回答は実にそっけない。しかし同時に、極めて納得のいく答えだった。

「名選手が名監督になることもあれば、ならないこともある。無名な選手が名監督になることもあれば、ならないこともある。つまり、関連性はないということだね」

 デシャンにインタビューしたのは、モナコの監督に就任して2年目だった。そのころのモナコはお金がなく、空きスペースに無造作に並べられたトレーラーハウスの1つで話を聞いた。バレンシアで現役を引退した次のシーズンには、もうモナコで監督業を始めていた。

 この人は、いずれ天下をとるのだろうな......そう思った。率直で裏表がなく、すべての回答が明快。尊大さがなく、かといって必要以上に用心深い感じもない。

 モナコの練習場には、ナントでのユース時代にデシャンのチームメートだったというコーチが偶然見学に来ていた。そのコーチによると、

「当時からリーダーだった」

 選手時代からリーダーシップには定評があったが、それはユースの時からだったわけだ。実際に会ってみると、たしかに「正しいリーダーがそこにいる」という印象だった。

<負けにくいチームをつくる>

 モナコでの2年目はリーグアンとCL優勝の二兎を追ったがわずかに及ばず(リーグ3位、CL準優勝)。3年目の不振で解任されると、次は名門ユベントスの監督に就任した。

 ただ、この時のユーベは「カルチョ・ポリ」と呼ばれた大規模不正事件によって、降格および勝ち点の大幅減という逆境にあった。それでもデシャンは、1シーズンでセリエB優勝と昇格を成し遂げたが、「(フロントとの)意見の相違があった」として辞任。

 その後、マルセイユを率いてリーグアン優勝。12年からはフランス代表監督となり、18年ロシアW杯優勝は記憶に新しい。

 フランスを世界一に導いたデシャンの手法は、ある意味でフランスの伝統を受け継ぎ、一方で自身のモナコ時代から変わらないスタイルでもあった。

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