オシムやクライフとは異なるタイプ。ファーガソンのすごさは観察力だ (3ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 1970~80年代の、リバプールの黄金時代の礎をつくったビル・シャンクリー、その黄金時代にプレーしたケニー・ダルグリッシュ、グレーム・スーネスなどもスコティッシュ。50~60年代の、マンチェスター・ユナイテッドの名監督だったマット・バスビーもしかり。イングランドのリーグを盛り上げていたのは、スコットランド人と言っても過言ではないかもしれない。

 時代を遡ると、イングランドにサッカー協会(THE FA)ができた当初、選手は主にパブリック・スクール出身の貴族の子弟たちだったが、やがて北部の工場労働者を中心とするクラブが台頭した。多くの選手はスコットランド人であり、彼らがプロ化の先駆けだった。

 サッカーが労働者たちのスポーツになる段階から、スコットランド人は大きな役割を果たしていたわけだ。

<観察する監督>

 ファーガソンは監督として戦術家のイメージはない。スコットランドと言えば、イングランドに対抗してショートパス戦法を考案した点で、最初の戦術的イノベーターだったわけだが、80年代になるとイングランドとスコットランドのプレースタイルに大きな違いはなかった。マンチェスター・ユナイテッドの戦術もその時代の標準で、とくに何か革命的な変化をもたらしたこともない。

 ファーガソン以前のイングランドの監督といえば、コーチというよりマネジャーという呼称が相応しい人が多かった。先述のマット・バスビーが「トラック・スーツ・マネジャー」として珍しがられたように、練習で指揮を執るというよりも事務方であり、現在のGMの役割である。

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