歯科医だったコロンビアの名将。30年前に先進的サッカーができた謎 (3ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 デレオンはバスケットボールの経験があり、それをサッカーに応用したという。「バスケボリザール」と呼ばれた守備戦術は、サッキが開始したゾーナル・プレッシングそのままだったようだ。デレオンが浅いラインディフェンスとゾーンによるプレッシングを始めたのとほぼ同時期に、リヌス・ミケルスはオランダで「ボール狩り」というゾーナル・プレッシングの基となった守備戦術で注目されていた。

 ただ、ミケルスのボール狩りはボールへのプレスと周辺へのマンツーマンディフェンスなので、そこがデレオンとは違っている。つまりヨーロッパを驚愕させたサッキの新戦術は、すでに30年前にウルグアイで行なわれていたということなのだ。

 おそらく、あまりにも早すぎたのだろう。だから「アンチ・フットボール」としか評価されなかった。その埋もれていた宝を、コロンビアから来た歯科医が掘り起こした。マツラナは直接デレオンには会っていない。しかし、デレオンの弟子たちとコンタクトをとり、デレオンに電話で質問することもたびたびだった。

 現役時代、センターバックとしてマークとボールを蹴り返すだけのプレーに飽きて引退したマツラナにとって、デレオンの戦術は導きの光だったといえる。マツラナは「コロンビア人のためのサッカー」を創造するためのカギをウルグアイで拾ったのだ。

<コロンビア人のためのサッカー>

 コロンビアに戻ったマツラナは、86年にオンセ・カルダスの監督に就任した。前任者がデレオン門下で、マツラナはその後継として指名されたわけだ。ほぼ同時にコロンビア代表のユースチームの監督となり、すぐにA代表監督に昇格している。オンセ・カルダスでのパフォーマンスに相当強烈な印象があったのだろう。

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