20年先を行っていたクライフの戦術。
ドリームチームはこうして生まれた

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 ペップをこの場所に置いたこと、フィールドの自陣3分の1について話す気さえなかったこと。この2つは、クライフ監督の考え方を端的に表している。

 1987-88シーズン、セリエAではアリゴ・サッキがミランの監督に就任し、いきなりリーグ優勝した。プレッシングという新戦術が脚光を浴びた。画期的なことが起きていると、世間がミランに注目し、強さの秘密を探ろうと"ミラノ詣で"が始まろうとしていた頃、クライフはまったく別の革命を進行させていた。

「2ステップス・フォワード」

 オランダのコーチにそう言われたことがある。クライフが指導者免許なしで監督を始めたことについて聞くと、「誰が彼にサッカーを教えるんだ?」「常に2歩先を歩んでいる」と言っていた。

 85年からアヤックスを率いたクライフ監督は3-4-3のフォーメーションを組み、全世界がプレッシングという守備戦術を知る前から、プレッシングを打ち破る方法を教えていた。たしかに1歩ではなく、2歩先を走っている。

 プレッシングが出現する前からプレッシング破りに着手していたのは矛盾しているようだが、クライフにとってそこは大きな問題ではなかったはずだ。

「人はボールより速く走れない」(クライフ)

 プレッシングだろうと何だろうと、ボールを正確に走らせれば失うことはない。プレッシングへの対抗策ではなく、いかなる守備に対しても攻撃が優位であるというスタイルをつくり始めていた。

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