33年前に生まれた画期的戦術。サッキの「ゾーンプレス」の仕組みとは (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 サッキがオランダの「ボール狩り」に着目していたのは確かだが、そのままではなく、リバプールのゾーンディフェンスと組み合わせたところが秀逸だった。「ボール狩り」は試合のなかで断続的に表れていたにすぎず、回数からいえばセットプレーぐらいの頻度でしかない。しかしサッキは、ゾーンディフェンスを組み合わせることで頻度を上げ、それがミランのプレーに他チームとは隔絶したインテンシティを与えることになったのだ。

<プレッシングの仕組み>

 89年のインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)のミラン対ナシオナルは、サッキいわく「ミラーゲーム」だった。当時、世界最先端だったミランの「プレッシング」をコロンビアのクラブが採り入れていたのは奇妙な現象といえる。

 サッキのミランは1987-88シーズンのセリエAで優勝、次のシーズンからチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグの前身)を連覇した。このころ新戦術の秘密を探ろうと、世界中の指導者が練習場ミラネッロを訪れる「ミラノ詣で」が流行したぐらいで、プレッシングはまだ謎の戦術だったのだ。

 ナシオナルのフランシスコ・マツラナ監督がプレッシングを採用したのは、じつはサッキとはまったく関係のないルートからだった。マツラナはウルグアイ人のリカルド・デレオンという監督に師事していた。デレオンはミケルスが「ボール狩り」を考案するのとほぼ同時期に、ゾーンによるプレッシングを始めていた監督。つまり、サッキより20年も早かった。その当時はほとんど理解を得られなかった守備戦術を、マツラナが掘り起こした。だから89年にミランとナシオナルが「ミラーゲーム」になっていたのである。

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